平成元年 5月27日

僕は、上の娘をニューヨーク・ホスピタル(病院)で生みました。あ、生んだのは、もちろんワイフですが、最終的には、僕も少し立っていられなくなったりしましたから、何だか「生みました」といってしまいたい感じがあるのです。「生もう」と決心をして病院にいってインタビューを受けながら、できるだけおかみさんにも、生まれてくる人にも大変でなくて、かつできるだけ自然に、できたらお産婆さんにもいてもらって、という具合に選択していったら、それはラマーズ法で子どもを生むことだ、ということになり、そして、この方法は、少なくとも僕達が受けたニューヨーク・ホスピタルのやつは大変哲学的で、ほとんど瞑想の練習のようで、面白くも楽しいものでした。
 娘が生まれて来て、へその緒でおかみさんとつながったまま彼女に抱かれて、初めての空気を泣きながらすっているときに、僕は、もうほとんど失神しそうだったので、ま、あまりたいしたことは言えないわけですが、やっぱし、子どもが生まれてくるときに、お父さんも一緒にいた方が良いと、僕は考えています。
 子どもがおかみさんとへその緒でつながって、かつ別々に動いているのを初めて見ると、まず、相当動揺しますが、今思えば、僕達が、地球という小さな星のうえに生かされている動物の一種なのだということが、突然に全部理解できて、何とも真剣に人間について考えてしまう。人間が人間に何かを伝えてゆくことについて、本当に真剣に考えてしまう。ついでに、この人たちがこれから生きて行く末を思って、我々の星の、ごく危うい様々なバランスのことなども考えてしまうということで、ただ見ているだけだったお父さんは、突然「生んだ」という実感を感じながら、立ちつくしていたのでした。