ひとりごと・はじめに

 僕の住む仙台の街では、旧市街を中心に「仙台リビング」という、新聞のような体裁の情報誌が、毎週末、各家庭に無料で配られる。その新聞のはじっこに、月1回、730字程の長さの、子どもとの付き合い方を中心としたエッセイを、1989年5月から2001年3月まで、僕は、書いた。
 2001年3月に連載が終了したのを機会に、初めから通して読んでみたくなってまとめたのが、この本になった。10年をすぎたあたりで、1回、やめようかなと思ったこともあったけれど、そのときどきの自分の考え方を、言葉に出して考え、点検することが面白くて、あまり無理もせずに続けていたら、あっという間に時間がすぎた、という感じが強い。でも、書き始めたころ小学生だった二人の娘は、二人とも、まだ扶養家族だけれど、もう家にはいない。12年という時間は、都市に住む、ごく基本的な家族にとって、なるほど、けっこうな長さではある。 文章は、ほとんど手を加えず、掲載順にならべてある。連載中、このコラムのために題材を吟味し、よく考えて校正し、文章を書きためておく、というような方法で書いたものは一つもない。毎月新しく1日目が始まると、その最初の1週間のうちに、そのときどきの家族や友人たちとの会話の中から、まったく思いつくままに題材がでてきて、ふだんの食事をしながらの会話のような感じで、これらの文章は書かれた。何回も同じ題材がでてきたり、繰り返し、同じような考えが確認されたりするのは、そのためである。毎日のごく普通の生活の中にあるあたりまえのことを、基本に立ち返って点検し、地球に住む哺乳類人間という霊長類の成体として、ごく本能的に判断し、行動しただけ、といってよい記録がここに述べてある、と僕は思っている。でも、今回読み返してみて、僕は大変面白かった。新米のお父さんとしてここまでやってきて、実はこれからも常に新米のまま、お父さんの仕事は続くのだなあと、一人しみじみ、家族の行く末を思っている。

 あえてことわっておきたいが、子供をめぐって書かれてはいても、これは、子育ての本ではない。子育ての問題は、自分の親に聞く、というのが、基本だと僕は考えている。そういうふうに育てられたので、こうなった自分がいる。自分が親になって、良かったと思えることは、そのままあなたの親がやったようにすればいいのだし、いやだったことは、決して同じにしないで、なぜそれが必要なのかに戻って考え、なんとか自分のやり方をひねり出す工夫をすればいい。それだけのことだ。子どもを育てることは、その人に子どもがいるいないに関わらず、これまで地球上に出現した、ほとんど全部の人間が普通にしてきたことの一つで、時代によってさまざまな条件が違っていたということを考えに入れても、そんなに大変でも難しいことでも、たぶん、ない。普通にしてきたことだから、そこには、人間が、ここに一人で生きているという自覚を持つための、さまざまな知恵や、文化や、何やかにやが、そしてなにより大切な、生きるための励ましも、たくさん見つけられるのだと思う。親をしている人だけでなく、人間をやっている人みんなに、「孤立を恐れず、連帯を信じて」、この本をおくりたい。