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平成元年 5月27日

僕は、上の娘をニューヨーク・ホスピタル(病院)で生みました。あ、生んだのは、もちろんワイフですが、最終的には、僕も少し立っていられなくなったりしましたから、何だか「生みました」といってしまいたい感じがあるのです。「生もう」と決心をして病院にいってインタビューを受けながら、できるだけおかみさんにも、生まれてくる人にも大変でなくて、かつできるだけ自然に、できたらお産婆さんにもいてもらって、という具合に選択していったら、それはラマーズ法で子どもを生むことだ、ということになり、そして、この方法は、少なくとも僕達が受けたニューヨーク・ホスピタルのやつは大変哲学的で、ほとんど瞑想の練習のようで、面白くも楽しいものでした。
 娘が生まれて来て、へその緒でおかみさんとつながったまま彼女に抱かれて、初めての空気を泣きながらすっているときに、僕は、もうほとんど失神しそうだったので、ま、あまりたいしたことは言えないわけですが、やっぱし、子どもが生まれてくるときに、お父さんも一緒にいた方が良いと、僕は考えています。
 子どもがおかみさんとへその緒でつながって、かつ別々に動いているのを初めて見ると、まず、相当動揺しますが、今思えば、僕達が、地球という小さな星のうえに生かされている動物の一種なのだということが、突然に全部理解できて、何とも真剣に人間について考えてしまう。人間が人間に何かを伝えてゆくことについて、本当に真剣に考えてしまう。ついでに、この人たちがこれから生きて行く末を思って、我々の星の、ごく危うい様々なバランスのことなども考えてしまうということで、ただ見ているだけだったお父さんは、突然「生んだ」という実感を感じながら、立ちつくしていたのでした。

平成元年 6月24日

 「正直者であること」というのは、美術家であるための条件の一つであると誰かが言っているのですが、子どもたちとつきあうときも、これはとっても大切な必要条件であると、僕は思っています。良く考えると子どもとだけじゃないですけどね。この前、上の娘に新しいゴムナガを買いました。街の中の靴屋さんを回ったあげく、やっと一つ見つけて買ったのです。ちょっと長めのゆったりした、普通の形の黒いゴムナガ。前にはいていた黄色と青色のは妹へのお下がりになりました。これもなかなかステキな物だというのを妹も知っていたので彼女もニコニコです。
 普通に良い子どもの靴って、あんまりないんですよね。靴底がやたら薄くて、踵のホールドがまったくない。こういうのって、これで良いという、何か根拠のような物があって、それで全部こうなっているのかなぁ。 
 僕は、自分の靴を買うときには、大変注意深く情報を集め、実物を見て、目的や使用状況を考え、値段について頭を悩まし、決心をし、それでも少しうろうろしてやっと買います。彼女らの靴を買うときも、ほとんど同じにしたいのですが、成長が早いので、コストについては僕の時より少し厳しい選択をせざるをえません。
本当に足と体に良い靴を選ぶとなると、ううむ、ちょっと高いんだよなぁ。正直者としてのお父さんは、心から悩んで、彼女らと真剣に相談するのでした。
 経済的な問題も含めて、子どもたちにきちんと説明をしてみると、彼らが、大人が思っているより遥かに真剣かつ柔軟に物を考えているのがわかります。そして、不公平でない説明があれば彼らは、きちんと納得をするのでした。ううむ、これも、別に、子どもと限った事ではないですねぇ。だいじょうぶなんでしょうか、僕達大人の間では・・・。

平成元年 7月22日

 夏休みのことを、この時期ですから、考えてみましょうか。
 何はともあれ、すっごくうらやましい。1ヶ月も休めるなんて、いいよねぇ。長い休みに何をして過ごすかということを、自分のこととして考えてみると、僕がいかにナマダラ(怠け者で、グウタラだというような意味の仙台弁)かということが暴露されてくる。ううむ、休みのときの大人は、ナマダラになってしまうんだな。ま、とにかくのんびりとやるということだ。何しろ1ヶ月でしょう?
 でも実際は、長い休みにはいったとたん、朝6時半からのラジオ体操なんかが始ったりするのだけれど、せっかくの休みなんだから、ゆっくり寝ててもいいんだぜというのが、お父さんの本当のところだなぁ。
 また、「1日美術館に行って、夏休みの宿題になるような物、何かできますか?」と、聞いてくるお母さんがいたりするけれど、いったいそんなに急いで作ってしまった後の29日間、あなたの子どもは何をしてるんだろうか?と、僕はちょっと心配になったりしてしまう。まさか、ずぅっと勉強してんじゃないだろうなぁ。
 子どもはいつも退屈で、何か面白いことないかと必死に探しているように見える。ようし、なかなか良い態度じゃないの、慌てないでじっくり探したらいいよ、時間はあなたのペースで動いているんだから。と言ってやるのが、僕たち大人が彼らのためにやれる仕事なのだと、僕は考えている。
 休みの時は、休みの時間が、流れて行く。
 自分自身のために時間が使えるとき、どれだけ独自のバリエーションを自分がもっているかについてまじめに考えておかないと、これから大人になる人たちは、絶対に困るんじゃないのかなぁ。ほんとは、ひとごとじゃぁないんだけどね。

平成元年 9月30日

 子どもだったら、泥遊びなんか好きに決まってるよねぇと、僕も思っていました。だから、美術館で子どもたちと一緒に、土の粉から粘土にしてゆく活動をするときなんかは、放っておいたって大丈夫と、たかをくくっていた所がありました。最近違うのね、これが。お母さんたちと一緒に、しっかり着替えも持ってきて、十分な心と体のウォーミングアップもすませ、さぁやるぞと興味津々、袋から粘土粉を床にあけて、「うわーすごいや」っと、ここまではお母さんも子どもも一緒に大興奮なんだけど、その粉で大きい池を作って、水を入れ、池の内側から少しずつゆっくりと粉と水を混ぜあわせ始めると、お母さんたちがほとんど全員「うわー、こういうのみんな好きよねぇ」と、また一段と盛り上がるのを横目で見ながら、必ず何人かの子どもたちが、「うわー、きたなくなっちゃった」と慌てて水道に走って、手を、まだほとんど汚れていない手を、洗い始めるわけですよ。するとその他の子どもたちもはっと我にかえった顔で、自分の手をじっとみつめ、それからお母さんの方をそっと見てみると、そういう光景が起こるのでした。
 ううむ、そうか、ずぅっと、泥は汚れだ、きたない、汚れたらすぐ洗いなさいって、みんな言われ続けてきたもんなぁ。泥の中に手を突っ込んで、目一杯気持ちよい顔にはなっていても、やっぱり口では「汚い、汚い」って言ってしまうしかないよなぁ。
 気持ちよいことが割とだめと言われることの多い世の中で、せめて子どもの時に、人間の基本的な気持ちの良いことを体験させ、こういうことは、気持ち良いって言っていいんだよと、伝えておきたいものだと、泥団子になりながらキラキラしている子どもたちと一緒に、僕は考え始めています。  

平成元年 10月21日

 どこからか子どもが一生懸命泣いている声が聞こえる。どうしたのかなぁ。お母さんかお父さん、いないのかなぁ。子どもが真剣に泣いていても、割と平気な顔をしているお母さんがいるけれど、僕はだめです。優しい気持ちから心配になるわけではなくて、なんだか、ドキドキと、子どもの頃、洪水警報のサイレンを聞いたときの感じと、むしろ似ているかなぁ。自分の子どもかどうかとは関係無く、何回聞いても、子どもが一生懸命泣いているのを聞くのは、どうも慣れないなぁ。赤ちゃんのときならいざ知らず、もうお話ができるようになったのに泣くというのは、お話よりもっと前の伝達手段に訴えているって事でしょう?そういう状態というのは、お話をすればすむというものではすでになくなっているわけで、もっと違う方法でのお話、たとえば抱いてあげるとか、一緒に見てあげるとかしなければ話がつかなくなってしまっている。話せるうちだと割と説得しやすいんですけどねぇ。
 彼らが大きくなって、自分の決定でやってみようとし始める頃、「子どもが言う事を聞かない」とたいていの大人は思い始める。ううむ、それって、彼らが泣く以前にちゃんと話をつけておいたうえで言っていることなんだろうねぇ。「話を聞いてちょうだい」と泣いてしまっている時には、無視しておいて、一人でやろうって時になると「話を聞こう」って言ったって、そりゃぁ、都合がよすぎる。
 大人の都合とほぼ同じに、彼らにもある都合について、話し合いがされなければいけないと思う。それで、大人の考えていることが半分しかできなくなったとしても、それこそが、本当に子どもと一緒にやる生活と言うものなわけで、現実ってそこのことなんじゃないのと、僕は、考えてしまうのだ。

平成元年 11月18日

 天気が良いので、今日の朝ごはんは、外で食べることになりました。もちろん僕の家は団地の一室なので庭はありませんから、トーストをラップに包み、コーヒーはポットに詰めて、牛乳やジュースはパックのまま、ついでにリンゴとバナナも、大きい買い物カゴに放り込み、敷物に使っている赤いテーブルクロスを持って、すぐ裏にある児童館の芝生の庭に大移動開始です。こういうときにいつも使う場所が僕んちにはあるのですが、秋も深まってきたこの季節、そこにはまだお日様が届いていなくて、今日は少し南の方の斜面で朝食ということになりました。僕は新聞を持っていって、食べたあと寝っころがって読んだりします。子どもたちは、望遠鏡で鳥をさがしたりします。そうして、一日が始ります。こういう日は、このままお散歩にでかけるのが良いですね。もちろんこれもちょっと足を伸ばして、広瀬川まで行って見ようかっていうぐらいのもので、そこに行って何かするための移動ではなくて、そこに行くまでを楽しむ、移動する事自体を楽しむのが目的のグウタラ散歩が望ましい形態という事になるでしょうね。とにかくぶらぶらとゆっくり行くわけです。
 遠くまで出かけることはもちろん楽しいけれど、子どもの頃からそこに住んでいたという人以外は、自分ちの周りというのも、まだまだ知らない所がいっぱいだったりするわけで、子どもが普段遊び回っている範囲を、彼らと一緒にじっくり探検してみると、おやこんな所があったのかと、ちょっとびっくりしたりします。その上で、少し、範囲を広げてみる、と言うあたりが面白いんですよね。地球全体につながっている「ここ」という概念について、僕達はもう一度足元を確かめてみたいものだと思います。