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平成8年1月27日

 去年、夏から秋にかけて両親といろいろ遊びまわった。退職した親と、欲得なく遊び回るのは、ちょっと話がしつこいことをのぞけば、けっこう面白い。その流れの中で「年末に、車で光のページェントを見に行こうぜ。」という約束を彼らとした。あの催し自体に、僕は反対だ。が、屋根を開けた僕のガタピシ車に乗って、あの光の中を通り抜ける体験は、卑怯者と言われようが何だろうが、ものすごい体験なので、彼らに見せたかったのね。しかし、今回、僕はその約束を実行しなかった。想像を絶する渋滞と混乱。何かが、やっぱりおかしいよな、とか思っているうちに新しい年になって、催しは終わってしまった。
 それを見ていた僕の娘たちが「実行できない約束はしない方が良いんじゃないの、お父さん。」とか、言うんだよなぁ、これが。こういうことを子どもが言い始めたということは、僕の方も、頑固じいさんと化し始める時期になってきたということでもあるので「この野郎めぇ、なまいきな事言うんじゃねぇ!。」なんて、ムラッとしてしまったりするわけね、まったく、、、。 
 でもね、僕はこれからもできるできないに関わらず、両親に約束をし続けるつもりだ。その約束が実行できるかどうかよりも、その約束が、両親に与える(だろうと、僕が期待する)ニコニコな心と、僕に与える心理的な(しかしニコニコではある)プレッシャーの方こそが、僕ら親子が面白がっているものなのだと言うことを、僕は知っている。少し言い訳みたいだけど。
 たぶん、こういうことを言わせるために、若い人は、大人に対して、なまいきを言い続けなければいけないのだ。そして、こういうことが言えると、大人になってきたということになるのかな。ちがうな、たぶん、、、。

平成8年3月9日

 ほおっておいても、子どもは絵を描くと、固く信じている大人がいるけれど、それは少し間違いだ。冷静にごく若い人たちを見ていると、彼らには、絵なんて、てんで興味がないんじゃないかと思うことが多い。 クレヨンなんかだって、何かを書くための物だなんて、てんから思っていない。彼らは、まず、手に持ったそれを食べてしまったりする。まずいとか、うまいとか、いや、そうではなくてとか、なんだかわけ分からないことをしているうちに自分の周りの床とか紙とかに、様々な色の点がついていることに気付く。でも、なぜついたのかは気にしていない。で、あるとき、ふとした偶然から、手にした何か小さいものが、物の上をすべって、跡を残していることに気付く。と、ほとんど同時に、自分が「手」を動かしていたことが「目に見えて」分かる。さて、こうなると、実に面白いわけですよ。動くことが自覚されながら、形が何かの上に残ってゆく。
 ここで、僕達は、コントロールして、紙の上に何か形を残すという作業を行うことができるようになる。たいていの場合、それは、点々か、せいぜい線でしかないけれど、しかしなんであれ、形ができた途端、それは、何かになる。と言うより、「それ何?。」と、大人が聞く対象になることに気付かされる。ああそうか、これは、何かなんだ。「ううんと、これは、お母さん。」。
 そのあとで、そう、あなたが、なんとそれに答えるかで、その人の、「美術」とのつきあいが始まるわけね。絵を描いたり見たりして自分の生活を拡大してゆく活動は、確かに、放っておいても始まるけれど、そこからどのように自分のものにしてゆくかは、けっこう放っておいてはいけない状況があるように、僕には思えるな。

平成8年4月6日

 今月は、先月のお話の続きを書こうと思っていたのだけれど、やっぱり卒業式のことにしよう。僕の長女が、高校を卒業した。
 彼女の高校には制服が無くて、その卒業式は、ま、なかなか元気のいいイベントだった。歳をとって涙もろくなっている僕でもぜんぜん泣く機会なんかなかった。少し残念。泣くのって気持ちいいから好きなのに。 僕は、1969年、高校を卒業した。その年は、世界中の学生たちが政治的に動いたときで、僕のいた高校の卒業式も、荒れた。といっても粛々と進む卒業式の半ば頃に、仲間の一人だった活動家の友人が、私にも発言させてくれと、手をあげて、ちょっとした演説を行おうとしたというだけだった。そのぐらいのことでも、その当時はものすごくたいへんなことで、先生たちが折り重なるように集まってきて彼を式場から出してしまおうとしたので、混乱はますます大きくなった。
 中身や、動機はまったく違うけれど、しかし、あのときの結末が、ここに、この卒業式にある。一人手を挙げて、発言を求めるどころではなく、シンデレラや、スキーヤーが卒業証書を代表で受け取り、クラッカーが鳴り響き、ウェーブが場内を駆け抜ける。僕は、少しニコニコしながら、55年体勢破壊後の世界に生きる諸君の未来について語る校長先生の話を聞いていたのだった。ね、先生、もう、その未来が来てしまっているのではないかしらん。先に、僕は、中身や動機が違うと書いたけれど、いや、それは間違いだ。ほとんど同じなんだと思うな、18歳の頃なんて。
 69年のあのとき、手を挙げたあの生徒がいなければ、たぶん、この卒業式は、違うものになっていたと思いたい。なにかが始まって、変わってゆく現場に、今、僕たちもいる。

平成8年4月27日

 上靴に驚いたのは、今年高校を卒業した娘が、小学校に入ったときだったろうか。子どもと大人との関係作りの基礎はお散歩にあると、僕は信じていて、そのために、歩くことの基本用具である靴については、子どもたちが小さい頃から注意を払ってきた。 近頃では、子ども用の靴も、きちんとしたものが増えてきているように思えるけれど、十数年前の日本の子ども靴事情は、ひどいものだった。子どものことを少しでいいから考えて作られている靴というものが、本当に少なかった。今だって、見かけが立派になって、値段が高くなっただけで、子どもの足とその使われ方を、きちんと考えて作られたものは、少ないのかもしれない。エアクッションの入ったスニーカーの一番小さいサイズを履いたときの子どもの笑顔は、今でもはっきり覚えている。ヘビーデュ−ティーとは何か、とか、しっかり考えるというのはどういうことか、ということを身体が理解した笑顔だった。
 だから、俗にバレエシューズと呼ばれているペナペナ底の上靴を履いてくださいと小学校で言われたときは、唖然としてしまった。一番身体の伸び盛りの時期、ほぼ毎日、少なくとも5時間から6時間、あのなんの保護機能もない薄っぺらな底の靴を履いて、コンクリートの床の上で暮す。こういうのって誰が考えついたんだ?、と思いましたね。今思えば日本の学校というシステムが、子どもたちをどの様に考えているのかを、この上靴は示していた。子どもなんてどんどん大きくなるんだから安いやつでいいのよ。
 その通り、彼らはどんどん大きくなる。だからこそその時期、大人は何を、誰の立場にたって、考えねばならないか。21世紀に向けて、基本を考え直す時期が来ていると、僕は思う。

平成8年5月25日

 どうなんだろう、川原でする「泥遊び」と、美術館でする「粘土遊び」とは、それをする子どもたちにとって、違うものなんだろうか。子どものときは、どう感じていたんだっけかなぁ。 今月初めの連休中、たくさんの人たちが美術館にやって来た。両親と一緒に子どもたちもたくさん来た。天気のすごく良い日にも、もちろんたくさん来た。で、みんなで、粘土遊びをするのね。僕は、美術館で働いているので、来館者が増えてうれしいけれど、お父さんとしての僕は、こんな天気良いんだから、どっか外で泥遊びすればいいのにって思っているんだな。遠くの山や海までいって遊べというのではない。美術館のすぐ裏にいっても、泥遊びなら、十分にできる。帰りにちょっと美術館によって、手足を洗って帰るっていうの、良いと思うんだけどねぇ。
 泥遊びに関していえば、ほとんどの大人は、その名人だったりする。昔、服を泥で汚して帰ってお母さんに怒られたり、泥の中に服を着たままはまりこむことは、相当気持ち良いことであるのを知っている。 
 粘土遊びはどうだろう。ほとんどの大人は、粘土で何かを作るのがうまい人がいるのを知っていて、たいてい私はへただと思っている。粘土遊びは、もちろん手足が汚れるものなのだけれど、上手に遊ぶには、こぎれいにやらなくてはいけないと思っている。ね、実際は、そんなに違うことであったはずがないのに、なんだか、だいぶちがうことになってしまったものが、ここにある。
 僕は、あのくらい遊んできて、今ここにこのくらいの人としている。この人たちは、どのくらいどのように遊んで、そして、どういう人になってゆくのだろうか。ごく普通の大人になるために、天気の良い日は、外に遊びにでたいと思う。

平成8年6月22日

 美術館での粘土遊びでは、子どもたちは、まず着替えをして裸足になる。裸足で、廊下のリノリウムの上に立つと、ほとんどの子どもは、くすぐったそうな、しかしうれしそうな顔をする。裸足で、冷たい床の上に立つのは、ちょっとくすぐったい。そしてかならず何人かは、裸足になりたくないと、けっこう真剣に困った顔をする。4月に書いた、学校のペンペナ底の上履きについてのコラムを読んだ小さい子どもを持つ友人から、ファクシミリが届いた。それは、5月14日付けのA新聞の切り抜きで、「土踏まず養成へ子供用地下足袋」という見出しで、三重県のお医者さんが、最近の過剰に足を保護する子供靴が、土踏まずの無い、転びやすい子どもを作っているという観察結果から、きちんと土踏まずを形成するために、裸足に近い地下足袋を履かせる運動を始めている、というものだった。
 子どもの足のことをちゃんと考え、なおかつその上を行く活動をやっている人がやっぱりいたんですねぇ。
 土踏まずのことまでを考えて、今の学校が、あのペナペナ底の靴を上履きとして指定しているとは、状況を好意的に見渡したとしても、僕にはとても考えられない。だから、前に書いた考えを撤回する気はないけれど、しかし、なるほど、こういうことはありうるな。裸足になったり、泥んこになったりするのが、必ずしも好きだとは言い切れない人が、僕の子どものころから比べると、だいぶ増えているのは、僕の経験でも、相当深刻に、本当だ。小学校に入る頃に、きちんと足に良い靴について考えることができるため、まずは、裸足の活動が好きな子どもになることを、始めなければいけないようだ。
 この地下足袋は、この夏から、販売されるという。ちょっと見てみたいと思う。

平成8年7月27日

 僕の若い友人から、仙台市のすぐ南隣にあるN市の駅前のギャラリーで展覧会をします、というお知らせのはがきが届いた。なるほど、それではこの次の休みの日に、歩いて行ってみようと、そのはがきを読みながら僕は考えました。 そう、展覧会もさることながら、僕にとって、N市までというのは、ちょっと長めのお散歩に、実に適当な距離なんですね。きちんと計ったわけではないけれど、たぶん、今僕の住んでいる所から20キロメートル前後。普通に歩いて、5時間ぐらい。朝8時に出かければ、昼ごはんを食べる時間を見ても、午後2時ぐらいにはなんとなく着いているかなぁ、の距離。郊外に住むようになって、かえって歩いて移動する機会が減ってしまっている僕には、これは良い機会です。
 と言っても、まなじりをけっして万全の準備をし、ねじり鉢巻きで出発だ、とかいうのでは、もちろんありません。ごく軽薄に出かけて、疲れたら休みつつ、しかしなんとなく歩き続けるうちに着いてしまうというような、本当にお散歩の長いやつ、というのが、僕の好みです。お財布さえ忘れてなければ、ま、あとはその場で何とかなるんじゃないの、日本語通じるんだし。
 のんびり、しかしきちんと歩いてみると、僕が普通に歩く早さは、よく言われている時速4キロメートルよりは、だいぶ速いことがわかる。相当のんびり歩いていると思っていても、時間は、僕を、思わぬところまで運んでゆくことにびっくりする。例えば20キロメートルという、普通なら乗り物などに頼ってしまう距離が、実は、思いもかけないほど簡単に到達してしまう距離であったことにびっくりする。そして、人間って結構ちゃんとした動物だったんだなぁ、ということがわかってくる。人間で良かったな。

平成8年9月7日

 僕はお魚が苦手だ。見たり触ったりするのは、何でもないのだけれど、食べるのは、あまり好きじゃない。ところが、ある若い女の友人に、「齋さんって、だめって言ってるわりに、魚の料理、何でもよく食べますよね。」と指摘されて、ふと冷静に点検してみたら、僕は、お魚、何でも食べられる人になっていたのだった。そう、おいしいものは、なんでもいただけるにこしたことはない。 僕が、魚を食べるの苦手、と思うようになった原因は、僕の母が、あまり魚の料理が好きでなかったという点にある。彼女は、いまだに、あまり魚を食べるのが好きではない。
 仙台の北にあるW町に、おいしいイタリア料理を食べさせるレストランがあって、ある日、両親と、食事に行った。その日のメニューは、しかし、お魚だった。とは言え、もちろん魚が嫌いとか好きとかのレベルを越えた上手な料理だったので、母も、喜んで食べた。最後に、彼女の皿の上に、魚の皮が残った。その皮も、もちろん上手な料理の一部だったから、食べ終えていた僕は、言った。「お母さん、その皮も食べなさい。おいしいの、もったいないからね。」母は、一瞬、困ったような顔をしてその皮をフォークで取り、目をつぶって口にいれ、一生懸命にのみこんだ。僕がそれを見ながら感じていた気持ちは、すごく不思議なもので、彼女は、すごくかわいらしかった、と言うのが、一番近い表現になるかなぁ。
 僕たち大人は、子どもに、さまざまなことを強要するときがある。さて、しかし、子どもが、それを一生懸命やろうとしている姿を見て、僕たちは何を思うだろうか。その時の思いと、この時、僕が母を見て感じた気持ちは、どのように同じで、どのように違うのか、ここしばらく、静かに考えてみたいと思っている。

平成8年9月28日

 幼稚園のみんなと美術館に来て、一時間半ほど、十分に解放されて裸足で粘土遊びをした4歳の人たちが、そろそろお腹が空いてきたので、粘土をしまい、手足を洗って着替えをし、床に腰を降ろして、靴下をはこうと悪戦苦闘している。原因は足を洗ったあと、きちんと拭いていないためだ。足の表面に少し残っている湿り気が、靴下のスムーズな動きを妨げている。 彼らの着替えを手伝っている、迎えに来た大人の人たちの反応を見ていると、なんだか大変なんだな、これが。
 「早くしなさい。一番最後になってしまうわよ。」とお母さんが言う。。確かに、私も早くしたいので頑張っているのね。でもうまくいかないわけよ。で、最後になるのって、なんかだめなことなの?。私が最後でないと、誰か違う人が最後になるのだけれど、それはかまわないの?。
 「何でそんな長い靴下はいてきたの。」って、怒ったように言うおばあちゃんもいた。でもなぁ、そんなこと言われたって困るよなぁ。せっかく美術館に行くんだって、お気に入りの靴下はいてきたんだもんなぁ。
 突然だまって後ろにまわり、グイグイと無理矢理引っ張り上げちゃったお父さんもいた。しかし、子どもはなぜか泣き始めてしまう。どうしたの?ただ手伝ってあげただけなのに。何で泣くんだよ、いたかったのか?そうだよな、せっかくお父さんに、靴下、自分ではけるとこ見せたかったのにな。くやしいんだか恥ずかしいんだか、なんだか泣くほかないよな、こういう時。
 僕たちがここにいるのとまったく同じ必然さと大切さで、彼らもそこにいる。注意して見ていれば、彼らがしている行動には、いつも(あたり前だけど)深い理由がある。子どもたちが困っているとき、先に生まれた子どもとしての僕たち大人は、力が湧いてくるような励ましを、彼らに与えたい。

平成8年10月26日

 団体で宮城県美術館に来た子どもたちは、まず、「美術館探検」をする。これは、簡単に言えば、施設見学で、美術作品も含めて、今日遊ぶフィールドを偵察、観察しておきましょう、という内容だ。この探検の最後あたりに、「トトロに会う練習をする道」というのがある。ううむ、このことは、本当は大人には、ないしょなんだよなぁ。大人の人はそっと読むこと。トトロは、あの「となりのトトロ」のトトロのことで、彼らに会うためには、草や木のトンネルの中を通りぬけ、苔むした、太い木の根元の大きな割れ目に飛び込むという、冷静に考えれば、けっこう大変な作業をこさなければいけないことになっている。あのお話の季節は、夏で、と言うことは、あのトンネルの中は、周りじゅう毛虫だらけ、虫だらけのはずだ。ね、それだけでも大変でしょう?だから、トトロに会いたい人は、日頃から練習しておいた方がいい。特に10歳以下の人。地震や火事のときの練習ももちろん大切だけれど、子どもにとって、いや、人間にとって、トトロに会いに行くための練習も、ほとんど同じに大切だと僕は思う。
 最近「さて、それではトトロに会いにいく練習をするぞ。」というと、そばに寄ってきて「トトロってお話だから、本当はいないんだよ。」とこっそり耳打ちしてくれる人がいるんだな。「君は何歳なの?。」「5歳。」「ううむ、あのな、いろいろなことを言う人がいると思うが、トトロって普通10歳ぐらいまでの人は会えるみたいだよ。ま、とにかくいつ会ってもいいように練習はしておいた方がいいんじゃないの。」。この答えを聞いたときの、ほっとして、続いてうれしさに輝く子どもの顔。この答えはうそなのだろうか。トトロを見なかった人たちが決めた答えだけが正しいわけではないことを、僕は伝えたい。

平成8年11月30日

 みんなうすうす気付いているとは思いますが、本当のことを言えば、美術ってけっこう難しいものなんである。すごく理屈っぽいものなんである。あ、美術といっても、絵をかいたり、粘土細工を作ったりする作業が、難しくて、理屈っぽいというのでは、もちろんありませんよ。手を動かす作業は、何であれ、練習すればほとんどなんとかなる。個人ごとの器用不器用は、もちろんあるから、その練習にかかる時間は、それぞれ個別に大きく開きがあるのはあたりまえのことで、ま、飽きないで(実はここんところがちょっと難しいのだな)続けて見れば、技術的なことはだいたいできるのよ。
 練習すればなんとかなることというのは、それに興味のある人が、各自、静かに練習するというのが普通なわけで、そういう意味では絵をかいたり、工作したりというようなことは、みんなでそろって学習し、理解しておかないと、社会が成り立たないというほどのものでは、たぶん、ない。だから、美術の授業って、描いたり、造ったりする技術を学ぶことだと、大多数の人が思っているうちは、基礎的な教育の現場から、だんだん美術的な教科はなくなっていく、と僕は思う。
 子どもたちと歩くと、世の中は、不思議と不安に満ちている。換気扇から、こんなに空気を吸いこんでも、家の中の空気はなくなんないの?。あの高いプラタナスの木のてっぺんの葉っぱまで、土の中の水は、本当にきちんといっているの?。わかってみれば、実に単純で明快なことも、まずは、良く見て、びっくりすることからしか始まらない。そのことに、私たちはもっと注目したい。学ぶことより先にしなければいけないことが、生活のなかには、まだ、たくさんありそうだ。このへんが、美術を考える基本になってくるといいのだがなぁ。