赤ちゃんのときならいざ知らず、もうお話ができるようになったのに泣くというのは、お話よりもっと前の伝達手段に訴えているって事でしょう?そういう状態というのは、お話をすればすむというものではすでになくなっているわけで、もっと違う方法でのお話、たとえば抱いてあげるとか、一緒に見てあげるとかしなければ話がつかなくなってしまっている。話せるうちだと割と説得しやすいんですけどねぇ。彼らが大きくなって、自分の決定でやってみようとし始める頃、「子どもが言う事を聞かない」とたいていの大人は思い始める。ううむ、それって、彼らが泣く以前にちゃんと話をつけておいたうえで言っていることなんだろうねぇ。「話を聞いてちょうだい」と泣いてしまっている時には、無視しておいて、一人でやろうって時になると「話を聞こう」って言ったって、そりゃぁ、都合がよすぎる。
大人の都合とほぼ同じに、彼らにもある都合について、話し合いがされなければいけないと思う。それで、大人の考えていることが半分しかできなくなったとしても、それこそが、本当に子どもと一緒にやる生活と言うものなわけで、現実ってそこのことなんじゃないのと、僕は、考えてしまうのだ。