初めてあった霊長類の近づき方というものは、まず、お互いに敵意のないことを示して、しばらく一緒に静かな同じ時間を過ごす、というようなものだから、僕は、彼から少し離れたところにゴロリと横になって、ときどきニコリと目を合わせながら、雑誌を読む。彼は、彼の仕事−たたんだタオルケットをくちゃくちゃにするとか−をしながら、ときどきこっちを見ていて、いつの間にか静かにそばにいる。僕の母親のやり方は違う。彼女は、彼といるあいだじゅうずうっと話しかける。名前を呼ぶのはもちろん、彼がしていることや、見ているものやこと、見えているものやことを、次々に実況放送していく。彼女によれば、赤ん坊の彼のふるまいは、彼女の長男である僕の赤ん坊だったころとよく似ているという。ひゃーっ、僕ってこうだったの。そして、お母さんも。僕は、「男は黙って行動を」という社会状況の中にあっても、小さいころからおしゃべりな子どもだった。そうか、記憶にはなかったけれど、僕もこんなふうに、お母さんに話しかけられて、大きくなってきたのだったのか。
何をするにせよ、人間はまず言葉で考える。相手が何を見て、何を想い、私はこれを見て、そう考える。記憶のずうっと奥のところにある基本的なものの組み立て方。お母さんの胸にしがみついていた時代のお話が、今の僕につながっている。