平成2年3月24日

 雑誌で「渋カジ」というファッションの特集を見ていたら、子供たちが、「なぁんだ、これ全部お父さんが持っているやつばっかじゃない。」と言うわけね。それはあたりまえなんだよな。これって、しばらく前にはやってた「ヘビー・デュ−ティー」ってやつの、もうちょっとナヨっとなったやつなんだもん。で、お父さんの持っているのはヘビー・デュ−ティーなんであって、渋カジではないんだよね。それが、ファッションだったのは、まだ大きい方の娘が、朝起きると僕の布団にもぐり込んできて、一緒に新聞を読んだりしていた頃のことで、その新聞に出ていたのを一つずつくぎりながら読んで、「お父さん、ヘビー・デュ−ティーってなに?」ときかれたことがあったっけ。よぉし、良い質問でないのと、その頃初めて買ってあげた、子供用の、しかし本物のスニーカーと、それまではいていたペナペナ底の子ども靴との、走ったときに感じる膝の裏のくすぐったさの違いや、ただの子ども用自転車と、競技用BMXとの、空気をかきわけるときの違いや、僕の着ている、やたら重いけれど、どこにでも着て行ける米軍の軍服のことや、もう3回も4回も靴底を張り替えて使っているワークブーツのことやなんかを、僕は話してやったのだった。
 僕たちの国では、ヘビー・デュ−ティーすらもファッションになってしまう。目的にあったとか、使いやすいとか、僕たちが物を選ぶときには、さまざまな基準があるけれど、一番大切なのは、それが自分の五感を、拡大、解放してくれるかどうかって事だと思う。それとも逆かな?子供のころから五感をフルに使っていれば、何を選べば良いか自然にわかってくるのかな。
 なにはともあれ、人生にはライト・デュ−ティーなんてのはないんだからね。