すっかり葉が落ちてからりと明るい、この季節の静かな雑木林を歩くのが好きだ。でも、注意して耳をすませば、雑木林は、普通、様々な音に満ちている。鳥をはじめとするさまざまな生き物のたてる音、風や水の流れる音、僕が通り過ぎてゆくためにおこる音、そして、遠くから絶えず聞こえる車が通っている音。ときどき立ち止まって、そういう音を聞くのも、僕は好きだ。

1月の半ば、邦楽の演奏会があって、橋本敏江さんという女の人が弾き語る、平家琵琶を聞いた。聞いたことがある人はわかると思うけれど、本物の平家琵琶というものを聞くという行為は、実に不思議な体験だ。音のキーがどこにあるのか探っているような不安な調子で始まり、文章の語尾を長くクルクルと引き延ばしながら、広いコンサートホールいっぱいに日本語が満ちてゆく感触。時に合いの手のごとく「ジャラン。」とはいる琵琶の音。西洋音楽に慣れた耳には、まるで何の約束事もなく、でたらめに弾いているかのように聞こえる緊張感。
でも、演奏が続き、緊張になれてくると、身体を包む空気はむしろ柔らかい風のようで、心が、美しい日本語の満ちた暗闇の中に、ニコニコと開いてゆくのが見えるような気になってくる。僕の目の前に広がってきたのは、静かな、しかし、自然の音に満ちた雑木林の中を、一人で駆け抜けてゆく風景だった。いやはやなんとも。琵琶を弾くって、こういう状況を起こすことだったのね。
私の主張の表現としてだけ音を出すのではなく、まず、そこにある様々な自然の音に耳を傾け、すでにそれらの音がある空間に向けて、私の音も混ぜてもらえるとしたらこんな感じかな、と音を流し込む。そうか、そっち側から始まる「音、楽しみ」(だから音楽ね。)っていうのもあったんだよな。