平成12年11月25日

 10月の末、僕は沖縄と仙台の美術家が共同で行う野外美術展に参加するため、何日か、沖縄にいた。会場は、那覇から車で30分ほどのO村にある、小さな共同保育所のまわりだったのだけれど、大きい道からちょっと外れたそのあたりの沖縄は、那覇の繁華街からは考えられないほどの、ごく普通の、時間がゆっくり流れている、田舎の生活と環境があった。そのような沖縄の生活のまわりにある雑木林というか、大きな自然は、家々の庭の植木を含めて、仙台から行った僕から見ると、全部ジャングルに見えてしまうのだった。で、そういう環境の中を、その保育所の子どもたちは、裸足でものすごいスピードで、走り回っていた。そして、何しろ暑い(毎日30度前後だった)ので、何か活動(ウサギ小屋の掃除とか、床に寝そべって絵を描くとか)が終わるたびに、1日何回も、水道の蛇口から水を跳ね上げ、裸で水浴びをする。お昼になれば、当番のお母さんたちが作ってくれた、ご飯とみそ汁とお煮付けを、みんなで食器を出してきて、自分でよそって、各自食べる。まだおしめをしている人から5歳の人まで、みんなそうする。うまくできない人には、年上の(といっても、その人自身が3歳だったりするのだけれど)人が手をさしのべる。いやはやなんとも、僕は今、何かものすごく良いものを見ているのではないかと思いましたね。
 もちろん、あっちこっちでけんかしていたりもするのだけれど、彼らが普段いる、木でできた大きな部屋の片隅に静かに座って、目と耳をすまし、幸福な混乱と騒がしさとでもいうものが一日中続いてゆく幸せを、僕は感じていた。あれは何だったのだろう。やはり、僕たちは、相当大切な何かを、もうすっかり忘れてしまっているのではなかろうか。