
子どもだって、大人だって、見る仕組みは同じなのだから、見えている風景は同じものだ。でも、見えているもの−イメージしたもの−を紙の上に描くには、運動神経の使い方を含めた、けっこうな練習がいる。ある年齢の時には、あるところまでしか、うまく手が動いてくれないこともある。「やあ、こんにちは。」と言いたいのに、「バブ、バブ。」と言ってしまうように。
普段あまり気にしてはいないけれど、目でものを見る、という作業は、私たちの身体がもつ情報収集方法の中では、もっとも威張っていて、百の情報を聞いても、一回見ることには負けてしまうことになっていたりする。私が見ているものを、見えているように描きたいという思いは、人間ならたいていの人がもっている。そして、見えているものにとらわれずに、自由に描きたいという思いも。
大切なことは、どちらも、見ているその人の思いだと言うことだ。指導し、させるものではなく、相談し、手助けをする。私は大人だ、ということは、そういう手を差し伸べることができる、ということではなかっただろうか。