ふと気付いたら、家の物干しに、新しい洗濯バサミがふえていた。橙や黄色、空色など、鮮やかな色彩が、ひもや竿の端で働いている。実は、僕は、洗濯バサミに、けっこううるさい。形が面白かったり材質が珍しかったりする洗濯バサミを見つけると、つい買ってしまう傾向がある。ま、たいした値段ではないので、はりきって宣言するほどのことでもないけどね。

これまでで、一番気に入っていたのは、だいぶ昔に見つけた、小さなこけしのような形の木製のもので、こけしの胴にあたる部分に、下から割れ目が切ってあって、そこで洗濯物をはさみこむヤツ。ただ、気に入っているということと、使いやすいかということとは、ほとんど関係なくて、この木のヤツは、わりとすぐに使われなくなってしまった。電気洗濯機で洗って干すスピードと、うまくなじまなかったようなのだ。でも、その手ざわりや、形と動き方は、家のみんなに気に入られていたので、それからも、部屋の飾り物をとめるというような仕事で、しばらく使われ、いつの間にかなくなっていた。洗濯バサミって、いつの間にかなくなってしまうよね。
新しく来た洗濯バサミは、最近街にふえてきた100円ショップで買ってきたという。ま、洗濯バサミだからね、何でもいいといえば何でもいいものなのだ。でも、どこかの小さな工場で、コストともうけをぎりぎりのところで考えながら、誰かちゃんとした大人の人が、これを造っている。そしてそのことを考えながら、僕は、あの、木製の洗濯バサミのことを思い出している。「あれ、よかったなあ。」と気付いたときには、それを作る機械も、作る人もいなくなっていたという体験を、たとえば、洗濯バサミでも、僕たちはしているのでないといいのだがなあ。