
「私は、あまりバスに乗らないのですが、バスの中って、やさしさにあふれているのですね。」という感想を述べている人がいたが、それは違う。バスの中がやさしいのではなく、これを撮った彼女の視線がやさしいのだ、という見方。私という人間は、まず一人でここにいる、ということを肯定したところから見つめる連帯感。私は一人で、ここから一人一人の人の集まった状態を見ている。孤立をおそれず、連帯を信じて、だったか、求めてだったか、そんな言葉を、昔、使っていたことを思い出す。
知らないうちに、一人でいることを恐れ、連帯感というよりは、集団意識ベッタリの視点になってしまいがちな私たちの生活の中に、彼女の目が切り取った小さな世界は、一人でいることや、一人で見るということが、別に困ったり悩んだりするようなものではなく、むしろ、そここそが、私とあなたのもともと立っている場所であることを思い出させる。
きちんと孤立した視線こそが、私たちの連帯の意識をゆり動かし、まわりを見る目をやさしくさせるのだ。