
しかし、ふと思えば、英語で話しているときは、全部この方式、すなわち、みんな、ファーストネームで呼び合う、という方法で会話は進んでゆくということに気付く。相手が大統領であろうと、幼稚園の園児であろうと、「さいい」は「さいい」なのだというところから始める、または始まる会話。Aという考え方と、Bという、まったく違った考え方があって、なんとか一緒に何かをするために、話し合いをしつつ、A'でも、B'でもない、Cというやり方を作り上げなくてはいけない場合、さて、どっちのやり方の方が話が早く、深くなるだろうか。
もちろん、ただ呼び捨てにすることと、ファーストネームで呼び合うということは、違うことではあるけれど、話の立つ場所として考えると、日本の大人が忘れている、何かたいへん大切なことが、このへんにあるように、僕には思える。
そうか、子どもの頃から英語を始めようということは、そういうことだったのね。