平成11年11月27日

 最近、自動車の免許を取った女の友だちがいて、だいぶ運転にも慣れてきたし、自動車も買ったので乗ってみませんかというお誘いがあった。もちろん喜んで乗せてもらうことにした。しばらくその辺を走り回ったあとで、私の運転に問題はないか、と彼女が聞いてきた。で、そのときいろいろ話したり考えたりしてわかったのは、彼女の運転がどうのこうのではなく、僕は、大変キョロキョロチョロチョロの人なのだなあ、ということだった。決して脇見運転をしているわけではないのに、自動車を運転しながら、今見えているモノを口に出して言ってみたら、僕は、何か、やたらたくさんのモノを次から次と気にしてみていることがわかった。見て、判断して、動くというのは、運転だけでなく、動物が行動を起こすときのごくあたりまえのやり方だけれど、目から情報を収集し、それを次々に判断していくということ自体が、僕は大変好きなのだ、ということがわかったということだ。
 運転、操縦などと、たいそうなことを言わなくたって、この世の中は、不思議と歓喜に満ちていて、注意深くていねいによく見て、そこにあるモノやコトを、それまで知った様々な知識を全部使って、自分で何とか考えてみる。たとえば、名前がわかんなかったら、自分で付けてしまえばいいのだというふうにまわりを見てゆくと、逆に、今自分のいる位置も見えてくる。まわりをよく見るということは、実は、自分がどこに立って、何をどう見ているかを、確認することなのだと思う。
 そうか、移動するのが好きっていうのは、実は見えるモノを確認していくのが好きってことだったんだな。自動車に乗せてもらって、運転のことを考えつつ、僕は、散歩に思いをはせていた。