この前の天気の良い日に、少し長いお散歩をした。出発は北仙台駅。仙山線の線路に沿って西に向かい、墓地を通り抜けて北山駅に出る。駅のそばで奄美カレーを食べてから北に降り、中山の商店街の坂を上って北環状線に抜ける。国見の生協前の十字路をそのまま西進して新しい団地の中を進み、東北道にあたって南に曲がる。南吉成から来る道で高速道を横切って活牛寺まで行き、そこから権現森を越えて陸前落合駅に出るというコース。

これを朝の10時ぐらいから始めて、途中、立ち読みやちょっとお茶を1杯とかやりつつ、疲れない速度で歩いて、陸前落合駅着は午後3時すぎぐらいだったかな。そこに住んでいるのでなければ、陸前落合駅とか北山駅とかには、普通あまり降りないと思う。でも、そういう、自分とほとんど接点のない駅に、お墓参りとかの強い目的を持たずに、まったく普通に降りてみる。もしかすると、もう一生歩くことはないのではないかと思える路地裏をブラブラ歩いていると、フワフワ飛んでいるモンシロチョウを、古い捕虫網を振り回して一生懸命追いかけている少女とか、背中にふとんたたきを斜めにさして、死に物狂いに三輪車をこぐ少年とか、目があったとたんニコニコ笑いながら遠くの坂の上からかけ降りてきて、なにごとかと身構える僕の脇を、風のように通りすぎた青年とかに出会うことができる。
ううむ、お散歩のことを思い出していたら、最初書こうと思っていたことが、どうでもいいことのように思えてきてしまった。私を取り巻く様々な出来事や状況のほとんど大部分は、どうでも良いことなのかも知れないな。時間はきちんとすぎていって、子どもたちはそれぞれちゃんと人間をやっている。実はそういうことがもっとも大切なことだったのかも知れないなと、思う。