平成11年5月29日

 昨日の午後、僕は、街から少し離れた新しい団地の中にある紅茶屋さんの中庭で、プレーンワッフルを食べながら、紅茶を3杯飲んでいた。気温は20度前後で風はなく、空は高曇り。こういうの気持ち良いなあ。遠くから新しい団地の生活の音が小さく聞こえてきたりする。先月のこの随筆の中で、北枕ネルという人の詩についてちょっとだけ書いたら、「その不吉な名前の詩人は誰?」という質問を受けた。たぶん知っている人はあまり多くないであろうこの人は、たしか5冊ほどの詩や散文の冊子を出していて、ときどき思い出して、僕はその本を読む。
 この人の文章を読むと、何はともあれ、人はまず一人で生きており、その上で一人で生きている人同士が力を合わせると、どういうことがおこるのかがわかる。そしてそれは、けっこう世の中捨てたものではない、という肯定の気配に満ちている。世の中の人が、常識の視点だけで、みんな同じ方向に向かっているわけではないことの実際が、ここにホカホカとある。みんなと違うことをするのは、恐ろしいことなんかではもちろんなく、何と人間的で楽しいことが多いのかについて、このように肯定的に歌う人を、自分の近くに持っていることを、僕は少しうれしく誇りに思う。歌の詞ではなく、宣伝の言葉でもなく、普通の生活の中の言葉を使って、その生活を肯定的に歌うことについて、詩は、なかなかしぶとい闘いを、こういうあたりでしていたのだなあ。
 この紅茶屋さんに北枕ネルの本が置いてある。新しく6冊目がでたという。名取駅前のスクリーミンという店には、全部の冊子がそろっているらしい。今度の休み、天気が良かったら、家からずうっと歩いて買いに行ってみようかと、最後の紅茶を飲みながら、考えた。