平成11年4月24日

 お正月に想うこれからの1年は、何かのんびりしていて、今年7月の地球滅亡を誰かずっと昔の人が予言していたらしい、というようなことを聞いても、宇宙がそういう予定で動いているのならば、「ま、しょうがないんでないの。」などと思ってしまう。お正月に想う1年っていうのは、自然とか宇宙とか、すごく大きなバランスの中で考える1年だからなのだろうか。 さて、4月になった。いろいろなことが、また新しく始まる。でも、4月に考えるこのあとの1年は、なぜか、競争とか、しっかりとかの言葉がまず出てきて、だからみんなでがんばろう!と続き、僕は、少し緊張しうんざりする。4月から始まる世界は、時は金なりの理論で動く時間で作られていて、一瞬たりとも無駄に使わず、急いで全部使い切らなければいけないように思えるからなのだろうか。
 けれどもちろん、時間は大きな宇宙のバランスの中にこそ確実に動いていて、そこでは「無理して使い切らなくても良いんだぜ。」とささやく、4月の心意気から見れば、悪魔の時間もあったりする。たとえその人がまだ1歳だとしても、ここに今生きているということは、実は自分を取り巻く世界について、確実に1年分の情報を持っているということで、それは本当にたくさんのことを知っているということだ、ということに、僕たちは気づくべきではないか。4月になって、再びこの1年を考える時期、競争や効率といった関係だけではなく、自分の生きて、立っている、この世界で、バランス良く動いている時間についてこそ考えたい。
 北枕ネルが、「世界のはんたいがはんたいじゃない」という詩の中で歌っているように、夢のはんたいが現実なのではなく、過去のはんたいが未来なのでもない。
 さて、私たちの現実の未来は、この4月どちらを向いて進んでゆくことになるのだろうか。