
けれどもちろん、時間は大きな宇宙のバランスの中にこそ確実に動いていて、そこでは「無理して使い切らなくても良いんだぜ。」とささやく、4月の心意気から見れば、悪魔の時間もあったりする。たとえその人がまだ1歳だとしても、ここに今生きているということは、実は自分を取り巻く世界について、確実に1年分の情報を持っているということで、それは本当にたくさんのことを知っているということだ、ということに、僕たちは気づくべきではないか。4月になって、再びこの1年を考える時期、競争や効率といった関係だけではなく、自分の生きて、立っている、この世界で、バランス良く動いている時間についてこそ考えたい。
北枕ネルが、「世界のはんたいがはんたいじゃない」という詩の中で歌っているように、夢のはんたいが現実なのではなく、過去のはんたいが未来なのでもない。
さて、私たちの現実の未来は、この4月どちらを向いて進んでゆくことになるのだろうか。