平成11年2月27日

 去年の秋、長い間乗っていた自動車が壊れてしまった。経過はいろいろあったのだが、結局、少し新しい自動車に変えることにした。少し新しいといっても、僕が前に乗っていたのは、1948年以来基本的なモデルチェンジをしていないという車の1990年型だったから、タカは知れている。とは言え、以前に比べれば、いたって近代工業生産品的な自動車が、我が家にやってきた。 今度の自動車には、以下の近代的装備が付いている(ということは、前の車にはついていなかった)。窓が全部(手動で)開く。ラジカセが付いていて、走りながら音楽を聴くことができる。ヒーターとクーラーの付いた(あたりまえか)エアコンがある。その他、たくさんのことができるたくさんのボタンが付いている。
 前の車で、家族とどこかへ出かけるのはなかなか楽しいことだった。窓は、最小限の部分しか開かなかったけれど、布製の屋根が簡単に全部開けられた。エンジンを冷やした風が、そのまま入ってくるシステムのヒーターは付いていたけれど、どうせすきま風とかで寒いから、冬、車に乗るときは、みんなきちんと防寒具を着ることになっていた。だから、光のページェントの中を、屋根を開けて走る、なんてことが簡単にできた。あれはすごいよ! ラジオは付いていたけれど、まわりから入ってくる音がうるさくて、あまり実用的ではなかったので、僕の家族は、走る車の中で、みんなで歌を歌いながらドライブするのが常だった。そうすると、車の中が暑い寒いなんて、本当は、どうでもいいことだったのだということがわかる。今は、ラジオを聴いている。
 もちろん、今乗っている車も、たいへん気に入ってはいる。しかし、近代的になるということは、本当に僕の家族に幸せを運んできてくれたのだろうかと、一方で思う私もいるのだった。