平成10年5月30日

 ニュースによると、仙台市内の保育所の数は十分ではないのだという。もっとたくさんの子どもたちが保育所に入ることができて、もっと長い時間保育してもらい、もっと小さい時期から預かってもらえないといけないのだという。しかし、これは何か変ではないか。この問題には、大変に込み入った事情が、複雑に絡み合って、表面からはうかがい知れないほど奥深くあることは十分に承知した上で、しかし、彼らのために、誤解を恐れず言っておきたい。
 子どもの立場から考えてみれば、保育所が充実することは、本当に彼らにとって幸せなことなのだろうか。僕が子どもだったら、とくに3歳以下の子どもだったら、保育所に行くの、やだな。
 子どもにとって、家庭や家族というシステムがいかに大切かということが、最近いたる所で話題になっている。そのとおりだ。さらに、小さいときはとても大切なのだと、いろいろな立場の人が言っている。だったら、まず、その方向でなんとかできないかを、僕たち大人はきちんと基本に戻って、本当に彼らのために、真剣に考え始めなければいけないのではないか。
 保育所の問題は、女性の社会進出と表裏で語られることが多いけれど、お母さんかお父さんが、いつも家にいるべきだというようなことを言うつもりはもちろんない。しかし、小さい子どもたちから見れば、まず家族と一緒に生きて、育っていくことができるということは、ごく当たり前の、そして最低限の人間の権利ではなかったか。
 保育所を充実することよりも、家族を充実するために税金を使う方法を、大人は頭をしぼって考えるべきではないか。子どもたちがどう生きるかを考えることは、僕たちの将来を考えることなのだから。