平成10年4月25日

 スピッツという名前のグループの青年たちが、テレビ番組でとても素敵な歌詞の曲を歌っていた。僕は歳をとるに従って涙もろくなってきているのだけれど、しかし不覚にも、テレビ画面の下に流れる歌詞を追いながら少し斜め下からにらむようにこっちを見つめて、一生懸命、しかしできるだけ当たり前のことを言っているのだというような感じで歌う、そのボーカルのお兄ちゃんを見て、きちんと涙を流してしまった。そこに無料のユートピアが出現しても、君と一緒にならば、僕はあえて脇目も振らず、汚れた靴でドカドカと、駆け抜けてしまうのだ。僕がここにいて、君がそこにいたということは、そういうことではなかったのか。と、彼らは歌う。そうだその通りだ。本当に・・・・。
 ふと思いなおすと、こういうことが最近けっこう多い。ドリームズ・カム・トゥルーの人たちが歌う曲や、沖縄の若い人たちが静かに歌う歌のいくつかを聞いて、「ううむ、そういうことなんだよなぁ、本当に」と、僕は知らないうちに静かに感動し、涙が流れていたりする。
 僕とおかみさんが、2人で、何かいろいろ若気の至りを繰り返しながら、社会のかなで生活というのを始めたころにこんな歌があったら、僕たちはそうとう力づけられたのになぁ。この人たちの言葉は、僕たちがあの頃の心の中に強く持っていて、しかしその時代ではこういう言葉にすることができなかった、大切なものだったのではなかろうか。
 日本語が乱れている、らしい。人々の心も、何かめちゃくちゃになってきている、という。だとしても、こういう言葉を紡ぎだせるようになってきたというのなら、ま、それもなかなかいいんじゃないかと、僕は考えている。