平成10年3月28日

 さて、困ったもんだ。こどもたちからナイフを取り上げなければいけないという。誤解を恐れず、しかし、一人の大人の人間として、ナイフのことについて考えたい。僕の2人の娘たちは、僕の知っている限り、おのおの2本ずつナイフを持っている。そのうち1本は、彼らが小学4年生のときに学校で買わされた、小さな切り出し小刀である。今から10年ほど前、公立小学校は子どもたち全員に小刀を与え、その使い方、たとえば、それで上手にえんぴつを削るとか、紙を2つに切り分けるとかの練習をしていたのである。その小刀は、今ではきちんと研ぎ上げられ(そう、切れない刃物ほど危険なものはない)、僕の作った木のケースに納まって、お守り刀のように彼らのベットの前にある。
 もう1本はスイス製の小さな万能ナイフで、これは確かサンタクロースのプレゼントではなかったろうか。ナイフと一緒に、良く切れるはさみや、プラスチックの爪楊枝などが付いていて、僕がちょっと楊枝貸してというとすぐどこからか出てくるところを見ると、いつもポケットやバッグなどの手の届くところに入っているはずだ。
 ナイフは人間にとって、最も古くからある基本的で大切な道具である。人間は、身に寸鉄を帯びることによってここまで進化してきたのだといってよい。
 問題は、使い方である。怖いナイフがあるのではない。怖い人間がいるのである。そして悪い子どもがいるのではなく、悪い大人がいるのである。ナイフを取り上げられたあの人たちは、当然、次は包丁を持ってくる。大人は、次に、台所から包丁を締め出す運動を始めるのだろうか。 
 あわてないで、何をまずなすべきかを考える時が、始まっていると僕は思う。