平成9年6月28日

美術というと、絵を描いたり工作したりすることだと思っている人が多いけれど、僕たちの毎日の生活の中にある美術は、ほとんど見るだけだといっていいと思う。一生のうちで、真剣に絵を描く機会はそうたくさんあることではない。楽しんで美術の作品を見るために大切なことは、まずそこに見えるものを詳しく細かくていねいに見てみることから始めることだと、僕は考えている。最近の作品では、見るを越えて何が見えないかということも大切になってきたりするけれど、見えないことに気付くためにも、まずは見える物をきちんと探していくことが必要になる。「わかる」とか「知る」とかする前に、なにしろそこにあるそれをよく「見る」こと。意識してやらないと、これがけっこう難しい。
 子どもたちが大人と一緒に美術館にやってくる。子どもたちにとって、美術は、大人が見ている目線とはだいぶ違った視点でとらえられているように、僕には思える。彼らは、身体と、知っていることばを総動員して、そのことを大人に伝えようとするのだけれど、ほとんどの大人は、それを見ようとしたり、せめて言っていることに耳を傾けようとしていないように、僕には見える。子どもたちを詳しく見ていると、たとえそれが、まるでたわいのない、そしてなんだかわけのわからない行動のようでも、彼らがやっている動きにはたいてい深い理由があって、ごく真剣に一生懸命やっていることがわかる。たいていは、とても「あら、かわいい。」とニコニコ笑っていってられないほどに、彼らは真剣であることが多い。彼らは本当はどこに行って何をしたいのだろうか。彼らの行動の中に、その答えはある。彼らの行動の中に見つけられる物から始まる活動を、僕たち大人は始めたい。