
練習すればなんとかなることというのは、それに興味のある人が、各自、静かに練習するというのが普通なわけで、そういう意味では絵をかいたり、工作したりというようなことは、みんなでそろって学習し、理解しておかないと、社会が成り立たないというほどのものでは、たぶん、ない。だから、美術の授業って、描いたり、造ったりする技術を学ぶことだと、大多数の人が思っているうちは、基礎的な教育の現場から、だんだん美術的な教科はなくなっていく、と僕は思う。
子どもたちと歩くと、世の中は、不思議と不安に満ちている。換気扇から、こんなに空気を吸いこんでも、家の中の空気はなくなんないの?。あの高いプラタナスの木のてっぺんの葉っぱまで、土の中の水は、本当にきちんといっているの?。わかってみれば、実に単純で明快なことも、まずは、良く見て、びっくりすることからしか始まらない。そのことに、私たちはもっと注目したい。学ぶことより先にしなければいけないことが、生活のなかには、まだ、たくさんありそうだ。このへんが、美術を考える基本になってくるといいのだがなぁ。