平成8年11月30日

 みんなうすうす気付いているとは思いますが、本当のことを言えば、美術ってけっこう難しいものなんである。すごく理屈っぽいものなんである。あ、美術といっても、絵をかいたり、粘土細工を作ったりする作業が、難しくて、理屈っぽいというのでは、もちろんありませんよ。手を動かす作業は、何であれ、練習すればほとんどなんとかなる。個人ごとの器用不器用は、もちろんあるから、その練習にかかる時間は、それぞれ個別に大きく開きがあるのはあたりまえのことで、ま、飽きないで(実はここんところがちょっと難しいのだな)続けて見れば、技術的なことはだいたいできるのよ。
 練習すればなんとかなることというのは、それに興味のある人が、各自、静かに練習するというのが普通なわけで、そういう意味では絵をかいたり、工作したりというようなことは、みんなでそろって学習し、理解しておかないと、社会が成り立たないというほどのものでは、たぶん、ない。だから、美術の授業って、描いたり、造ったりする技術を学ぶことだと、大多数の人が思っているうちは、基礎的な教育の現場から、だんだん美術的な教科はなくなっていく、と僕は思う。
 子どもたちと歩くと、世の中は、不思議と不安に満ちている。換気扇から、こんなに空気を吸いこんでも、家の中の空気はなくなんないの?。あの高いプラタナスの木のてっぺんの葉っぱまで、土の中の水は、本当にきちんといっているの?。わかってみれば、実に単純で明快なことも、まずは、良く見て、びっくりすることからしか始まらない。そのことに、私たちはもっと注目したい。学ぶことより先にしなければいけないことが、生活のなかには、まだ、たくさんありそうだ。このへんが、美術を考える基本になってくるといいのだがなぁ。