平成8年9月28日

 幼稚園のみんなと美術館に来て、一時間半ほど、十分に解放されて裸足で粘土遊びをした4歳の人たちが、そろそろお腹が空いてきたので、粘土をしまい、手足を洗って着替えをし、床に腰を降ろして、靴下をはこうと悪戦苦闘している。原因は足を洗ったあと、きちんと拭いていないためだ。足の表面に少し残っている湿り気が、靴下のスムーズな動きを妨げている。 彼らの着替えを手伝っている、迎えに来た大人の人たちの反応を見ていると、なんだか大変なんだな、これが。
 「早くしなさい。一番最後になってしまうわよ。」とお母さんが言う。。確かに、私も早くしたいので頑張っているのね。でもうまくいかないわけよ。で、最後になるのって、なんかだめなことなの?。私が最後でないと、誰か違う人が最後になるのだけれど、それはかまわないの?。
 「何でそんな長い靴下はいてきたの。」って、怒ったように言うおばあちゃんもいた。でもなぁ、そんなこと言われたって困るよなぁ。せっかく美術館に行くんだって、お気に入りの靴下はいてきたんだもんなぁ。
 突然だまって後ろにまわり、グイグイと無理矢理引っ張り上げちゃったお父さんもいた。しかし、子どもはなぜか泣き始めてしまう。どうしたの?ただ手伝ってあげただけなのに。何で泣くんだよ、いたかったのか?そうだよな、せっかくお父さんに、靴下、自分ではけるとこ見せたかったのにな。くやしいんだか恥ずかしいんだか、なんだか泣くほかないよな、こういう時。
 僕たちがここにいるのとまったく同じ必然さと大切さで、彼らもそこにいる。注意して見ていれば、彼らがしている行動には、いつも(あたり前だけど)深い理由がある。子どもたちが困っているとき、先に生まれた子どもとしての僕たち大人は、力が湧いてくるような励ましを、彼らに与えたい。