平成8年9月7日

 僕はお魚が苦手だ。見たり触ったりするのは、何でもないのだけれど、食べるのは、あまり好きじゃない。ところが、ある若い女の友人に、「齋さんって、だめって言ってるわりに、魚の料理、何でもよく食べますよね。」と指摘されて、ふと冷静に点検してみたら、僕は、お魚、何でも食べられる人になっていたのだった。そう、おいしいものは、なんでもいただけるにこしたことはない。 僕が、魚を食べるの苦手、と思うようになった原因は、僕の母が、あまり魚の料理が好きでなかったという点にある。彼女は、いまだに、あまり魚を食べるのが好きではない。
 仙台の北にあるW町に、おいしいイタリア料理を食べさせるレストランがあって、ある日、両親と、食事に行った。その日のメニューは、しかし、お魚だった。とは言え、もちろん魚が嫌いとか好きとかのレベルを越えた上手な料理だったので、母も、喜んで食べた。最後に、彼女の皿の上に、魚の皮が残った。その皮も、もちろん上手な料理の一部だったから、食べ終えていた僕は、言った。「お母さん、その皮も食べなさい。おいしいの、もったいないからね。」母は、一瞬、困ったような顔をしてその皮をフォークで取り、目をつぶって口にいれ、一生懸命にのみこんだ。僕がそれを見ながら感じていた気持ちは、すごく不思議なもので、彼女は、すごくかわいらしかった、と言うのが、一番近い表現になるかなぁ。
 僕たち大人は、子どもに、さまざまなことを強要するときがある。さて、しかし、子どもが、それを一生懸命やろうとしている姿を見て、僕たちは何を思うだろうか。その時の思いと、この時、僕が母を見て感じた気持ちは、どのように同じで、どのように違うのか、ここしばらく、静かに考えてみたいと思っている。