平成8年5月25日

 どうなんだろう、川原でする「泥遊び」と、美術館でする「粘土遊び」とは、それをする子どもたちにとって、違うものなんだろうか。子どものときは、どう感じていたんだっけかなぁ。 今月初めの連休中、たくさんの人たちが美術館にやって来た。両親と一緒に子どもたちもたくさん来た。天気のすごく良い日にも、もちろんたくさん来た。で、みんなで、粘土遊びをするのね。僕は、美術館で働いているので、来館者が増えてうれしいけれど、お父さんとしての僕は、こんな天気良いんだから、どっか外で泥遊びすればいいのにって思っているんだな。遠くの山や海までいって遊べというのではない。美術館のすぐ裏にいっても、泥遊びなら、十分にできる。帰りにちょっと美術館によって、手足を洗って帰るっていうの、良いと思うんだけどねぇ。
 泥遊びに関していえば、ほとんどの大人は、その名人だったりする。昔、服を泥で汚して帰ってお母さんに怒られたり、泥の中に服を着たままはまりこむことは、相当気持ち良いことであるのを知っている。 
 粘土遊びはどうだろう。ほとんどの大人は、粘土で何かを作るのがうまい人がいるのを知っていて、たいてい私はへただと思っている。粘土遊びは、もちろん手足が汚れるものなのだけれど、上手に遊ぶには、こぎれいにやらなくてはいけないと思っている。ね、実際は、そんなに違うことであったはずがないのに、なんだか、だいぶちがうことになってしまったものが、ここにある。
 僕は、あのくらい遊んできて、今ここにこのくらいの人としている。この人たちは、どのくらいどのように遊んで、そして、どういう人になってゆくのだろうか。ごく普通の大人になるために、天気の良い日は、外に遊びにでたいと思う。