平成8年4月6日

 今月は、先月のお話の続きを書こうと思っていたのだけれど、やっぱり卒業式のことにしよう。僕の長女が、高校を卒業した。
 彼女の高校には制服が無くて、その卒業式は、ま、なかなか元気のいいイベントだった。歳をとって涙もろくなっている僕でもぜんぜん泣く機会なんかなかった。少し残念。泣くのって気持ちいいから好きなのに。 僕は、1969年、高校を卒業した。その年は、世界中の学生たちが政治的に動いたときで、僕のいた高校の卒業式も、荒れた。といっても粛々と進む卒業式の半ば頃に、仲間の一人だった活動家の友人が、私にも発言させてくれと、手をあげて、ちょっとした演説を行おうとしたというだけだった。そのぐらいのことでも、その当時はものすごくたいへんなことで、先生たちが折り重なるように集まってきて彼を式場から出してしまおうとしたので、混乱はますます大きくなった。
 中身や、動機はまったく違うけれど、しかし、あのときの結末が、ここに、この卒業式にある。一人手を挙げて、発言を求めるどころではなく、シンデレラや、スキーヤーが卒業証書を代表で受け取り、クラッカーが鳴り響き、ウェーブが場内を駆け抜ける。僕は、少しニコニコしながら、55年体勢破壊後の世界に生きる諸君の未来について語る校長先生の話を聞いていたのだった。ね、先生、もう、その未来が来てしまっているのではないかしらん。先に、僕は、中身や動機が違うと書いたけれど、いや、それは間違いだ。ほとんど同じなんだと思うな、18歳の頃なんて。
 69年のあのとき、手を挙げたあの生徒がいなければ、たぶん、この卒業式は、違うものになっていたと思いたい。なにかが始まって、変わってゆく現場に、今、僕たちもいる。