ほおっておいても、子どもは絵を描くと、固く信じている大人がいるけれど、それは少し間違いだ。冷静にごく若い人たちを見ていると、彼らには、絵なんて、てんで興味がないんじゃないかと思うことが多い。

クレヨンなんかだって、何かを書くための物だなんて、てんから思っていない。彼らは、まず、手に持ったそれを食べてしまったりする。まずいとか、うまいとか、いや、そうではなくてとか、なんだかわけ分からないことをしているうちに自分の周りの床とか紙とかに、様々な色の点がついていることに気付く。でも、なぜついたのかは気にしていない。で、あるとき、ふとした偶然から、手にした何か小さいものが、物の上をすべって、跡を残していることに気付く。と、ほとんど同時に、自分が「手」を動かしていたことが「目に見えて」分かる。さて、こうなると、実に面白いわけですよ。動くことが自覚されながら、形が何かの上に残ってゆく。
ここで、僕達は、コントロールして、紙の上に何か形を残すという作業を行うことができるようになる。たいていの場合、それは、点々か、せいぜい線でしかないけれど、しかしなんであれ、形ができた途端、それは、何かになる。と言うより、「それ何?。」と、大人が聞く対象になることに気付かされる。ああそうか、これは、何かなんだ。「ううんと、これは、お母さん。」。
そのあとで、そう、あなたが、なんとそれに答えるかで、その人の、「美術」とのつきあいが始まるわけね。絵を描いたり見たりして自分の生活を拡大してゆく活動は、確かに、放っておいても始まるけれど、そこからどのように自分のものにしてゆくかは、けっこう放っておいてはいけない状況があるように、僕には思えるな。