モーターサイクルに乗ることは、僕のライフスタイルであって、趣味ではない。たとえば、少し長い休みになると、時々僕は、朝2時に起きて用意をし、モーターサイクルで高速道路を一心不乱に走り続けるという遊びをするために、まだ真っ暗なうちに、家を出る。3時に東北縦貫道に乗れば、クロームメッキされたヘッドライトに映りこむ空が、黒から紫を経てスカイブルーに移行していく様子を十分に楽しみながら走っても、8時には、ハイウェイの北のはずれの出口でヘルメットを脱ぎ、携帯用のガスコンロで、朝のコーヒーを飲むことができる。「アオモリ」は、僕にとってはそういう所として、僕の家の玄関の前から続いている。

この前、山形に住んでいる若い女性の友人と話していたら、彼女も、山形市内の移動には小さなバイクを使っているということだった。「やぁ、それなら、天気のいいとき、仙台までバイクで来てみるとおもしろいのに。」と僕が言うと、彼女はしばし絶句した。彼女にとって、その小さなバイクは、そんな「長距離」を移動するものとしては考えていなかったらしいのだ。
ううむ、確かにそれは、彼女の「日常」の範囲の中を「手軽に」移動するものなのだろう。で、その日常が、その小さな機械を操縦することによって、その手軽さのままどこまでも広がり、ふと気づくと「アオモリ」まで行ってしまえるところが、すごくおもしろいことのように僕には思えるんだけれどなぁ。僕の経験から言えば、これは、移動する距離の長さや、バイクの大きさとは関係ないな。自分の居る場所が、そのまま世界に通じているということを、ある日、小さなバイクを通じて感じる。すると、日常ってすごく大切でおもしろいんだって思えてくるんだけれどなぁ。