ベニヤの板を20センチぐらいに四角く切って、何か絵を描く。それを糸ノコで「適当な形」に切ってパズルにする。というような活動をする幼稚園や保育所が増えてきているのだろうか、最近たくさんの先生たちが美術館に電動糸ノコを借りにくる。ま、これはなかなかいいと思いますよ。で、ほとんどの人たちは、まさに「適当」に切って帰ってゆく。しかし、それで子どもたちと遊んでみるとわかるのだけれど、すぐにあきちゃうんだよね、形が適当だと、、、。

もちろん、楽しく遊べるパズルであるためには、さまざまな要素がかかわっている。絵柄もそうだし、たとえばその木の厚さとかね。でも、僕はそのピースの形が大切なのではないかと思っている。お店にあるパズルをよく見ると、実は大変注意深く形がきめられていることがわかる。絵柄はどうあれ、一つ一つのピースの形が、美しいか、不思議か、へんてこりんか、とにかくなかなかおもしろい。
僕がこんな話をすると、たいていの先生たちは「なるほど。でも、子どもたちが使うんですから、、、。」と言って、やっぱり適当に、急いで切ってしまってゆく。でもなぁ、子どもが使うものだからこそ、できたらきちんと理由のある形にした方が良いんじゃないかなぁ。そもそも、子どもだから適当なもので良い(たぶん、ごまかせる、または、どうせ分からない)と思っている事自体が、何か差別的だと思いますよ、僕は。
確かに、クラス全員のパズルを切るのが大変なのは良くわかる。でも、それをなんとかする方法はたぶんあるが、子どもたちの頭にすりこまれる形の印象は、もうどうしようもないんだよね。
今の子どもがどうこう言う前に、大人がするべき文化的な作業は、まだたくさんあるような気がするなぁ。