平成6年11月26日

 最近、少し大きい子どもたちと話をしていると、ふと、子どもたちの方が僕よりも何歩か先を行っているんだなと思うことが多い。こういう時って、なかなか気持ち良いもんじゃない?
 今時の学校には、沢山の規則がある。ま、たいていの規則には、それなりの存在理由があるのだと信じたいけれど、生活の変化に伴って、できたときは十分な理由があったにしても、今となっては、もう、どう考えても変てこりんになってしまっている規則というのも結構あるようなのだな。 たとえば、通学にマウンテンバイクを使ってはいけないとかね。これって、まだスポーツ用の自転車が一般的ではなかった頃には、子どもたちに無用な競争をさせないために有効だったかもしれないけれど、今では、納得できる理由を考える方が難しくなっていると思う。学校の帰りに買い食いをしてはいけない。でも、それなら、あんなに遅くまで「部活」をしている育ち盛りの子供たちに、何か有効な燃料補給の手段を与えてやる義務が、監督する大人にあるのではないか、と思えてくるし。
 このへんの事は、子どもたちと話ながら、整理し考えてゆくと、解決はそんなに難しくないように、僕には思える。実際、思いつきを整理してあげただけで、彼らは、時代に沿ったなかなかうまいことを考えついたのだけれど、ここでは書かないことにしよう。
 これからの時代を作って行く人たちとやってゆくとすれば、決まっている規則を守るという姿勢を教えこむよりは、むしろ自分たちの状況をみつめ、その状況の本質に必要なルールを、様々な人たちとの関係の中で決めていく練習のようなものをこそ、考えるべきなのではないか。そっちにこそ、教育があるように、僕は思えるのだが、、、。