平成6年6月25日

 急いでないとき、エレベーターに一人で乗ると、たいていは僕は扉が自動で閉まるのを待っています。誰かが乗ってくればそれはそれで事件の始まりになるかも知れないし、誰も来なければ来ないなりに、不思議にぼんやりとした、しかし緊張した時間がすぎるのを楽しめます。そうして、せいぜい何十秒かの時間が流れて扉が閉まります。 四月から新しい住まいに引っ越しました。今度の所は高層のアパートで、なんと10階の南端。さすがにエレベーターがついています。
 ある日、そのエレベーターに乗ったら、後から小学生が二人走り込んできました。元気よく、かつなかなか礼儀正しい人たちで、僕たちは挨拶を交わしました。彼らは7階で降りたのですが、彼らが降りても、僕が扉を閉めずにただニコニコ立っているだけだったので、「おじさん、扉閉めのボタン押さないと動かないよ。」と、心配して言ってくれたのでした。ううむ、こういうとき、大人としての僕は何と言ったら良いのかなぁ。
 本当はね、閉めのボタンを一回押す毎に、確か八円程だったか余計な電気がいるんだって。だから、原子力発電はいやだと考えている人は、扉閉めのボタンを押さないことにしようという人たちもいるのね。
 僕も、扉閉めのボタンは押さない。でも、理由はちょっと違う。違う時間の流れがすぐそばにあって、そういう時間に気付くと、なんかわくわくする生活がすぐ始められるんだってことを忘れないようにするために今の時間を使う。これって、僕は子供のときに学んだと思うんだがなぁ。
 こういうジャンルの文化って、どういういふうにして伝えていけばいいのか、真剣に考えなければいけなくなってきちゃったのって、いったい誰のせいなんだ?