平成6年1月29日

 僕の娘は、制服のない、公立の高校に通っている。年頃で、制服がないと来れば、毎朝、今日は何を着ていくか楽しんじゃうってことになりますが、日本の場合、こっちが楽しんでるってことは、あっち、すなわち先生たちが楽しんでいないということを意味しているようで、いろいろ言われるんですって。自分できちんと考えた服装をしましょう、というのが、彼女の学校の服装に関する考えで、「考えて着て来て、似合っているんだから、いいじゃない、ねぇ。」と言うのが、いつも先生に注意されている友達に対する彼女の弁護の言葉なのですが、おいおい、それじゃぁ、似合わないのを着てきたら、いけないことになるんじゃないの? 本当はね、問題はそこにあるのではない。自分がそれで良いと考え、納得したのなら、服なんて、何着たって良いのよ。似合うからいい、だらしなくみえるからいけない、という問題ではなく、人が、自分で考えて、自分で行動する楽しさとすごさを、保証されているかどうか、ということが、どうも良くわからない理由で規制されていると、僕達はなんだか面白くないと感じるのだと思う。これって、結構人間の基本的な人権にかかわってくる問題だと、僕は、思うな。
 僕が高校生だったころ、日本中の高校生が、誰かに決められてしまっている制服や規則なんかを、もう一度点検しなおそうぜ、という運動をおこして、いくつかの高校では制服を止めてしまった。その結果が、その当時の僕達の思いをはるかに越えて、今ここにある。冷静にみれば、結構いい線いってるんだと、僕は思う。今時の子どもたちは、と、繰り返すのではなく、このレベルでの文化と意識の伝達をこそ、大人はする時期に来ていると、お父さんとしての僕は思う。