平成5年2月27日

 若い友人が、車で通勤していたら、反対車線を外国製の小さい車が走ってきたんだって。見たら、帽子をかぶった人が背筋を伸ばして運転していて、「けっ、キザなヤツだなあ、と思ってよく見たら、齋さんだったんだよねえ。」と言うじゃありませんか。まいったなあ。そうか、普通に言えば、俺ってキザなだけなんだよなあ。 あたりまえのことが、自分以外の尺度に照らしてみると、実はそんなにあたりまえでなかったりすることは、たくさんある。そして、それは、意識的に自分でなにかを決めて動いてみて初めてわかってくることが多いように、僕には思える。
 道具としての自動車は、都市に住む僕にとってそんなに必要なものでは、無い。これに乗ってこんなふうに走ったら気持ち良いだろうなあという想いがまずあって、それで、僕は免許を取りに行った。そうして乗っている車は、最小限の機構で、一生懸命働くかわいい車で、シートなんかただのパイプ椅子のようなものだから、好き嫌いにかかわらず、いつもきちんと背筋が伸びてしまうわけだし、ドアなんかも、気密というような概念とはあまり関係なく作られているので、冬の朝乗るときは、ほとんどバイクに乗るときと同じような心構えが必要で、帽子をかぶらないと、単に頭が寒いだけなのね。でも、快適。
 せめて、自分の身の回りの物に関しては、自分の快適さを基準に、意識的に選びたいものだと、僕は考えている。自分が快適だと感じることはどういうことなのかを、きちんとつかんでおきたいと考えている。快適は、ちょっと気をぬくと、「楽ちん」とか「いばれる」とかと混同しそうになるので、危ないんだけれど、あまり「普通」を気にすることなく快適探すのって、やっぱり、キザかなあ。