平成4年8月29日 

 セシル・テイラ−。このアメリカの黒人のおじいさんは、フリー・ジャズのピアニストとして、ファンの間では大変良く知られた人です。8月4日の夜、彼は宮城県美術館で、2時間ほど即興のジャズのピアノコンサートをしてくれました。 ホールの電気が消えると、天井の後の方から英語の詩の朗読が聞こえてきて、その韻の調べが、あっというまに僕たちを日常の世界から引き離し、そのままぐるっと二階を周って脇の階段からピアノの所にセシルが出てくるという始まり方に、僕は、感動しましたね。やられたなぁ。それに続く演奏が、想像できるピアノの音の範囲を軽く越えて広がり、僕の体の筋肉をどのようにゆるませたかというお話は、ちがう機会に譲りましょう。
 僕がその時、にこにこと感動しつつ、ゆるゆると廻る頭の中で考えていたことは、僕が彼と同じ60歳になったとき、こんな風に自由なおじいちゃんになってられるだろうか、ということでした。
 思えば、美術館にある、現代美術と呼ばれる何だかごちゃごちゃわかんない絵も、実は、結構年をくった人たち(63歳とか、57歳とか)が、すごく真剣に描いていたりするわけで、本質的に抽象的な仕事って、やっぱり相当歳とんないとやったりわかったりできないものなのかも知れないなぁ。早く立派なおじいさんになんなくっちゃ。きちんと歳相応のインプレッション(印象)とエクスプレッション(表現)を見せてくれるおじいさんやおばあさんを見ると、僕は、歳を取ることが楽しくてしょうがなくなる。ああいう、おじいさんになりたいなぁ。
 ところで、僕たちを見ている子どもたちは、同じように早く大人になりたいよって思ってくれているのだろうか。ヒャ−ッ、これって、けっこう大変だ。