平成4年5月30日

 山に住んでいる友人をひさしぶりで訪ねたら、新しく生まれて5ヶ月になるという女の子がいて、僕の方をじっと見つめるので、だっこさせてもらいました。
 小さな手で、ヒュッと腕にしがみついて来られると、僕はすごくうれしくなってしばらく真剣に遊んでしまった。要するに、彼女をひざの上に乗せて、彼女が指を指す方向をいっしょにお話しながら眺めたり、僕の人さし指を彼女が握ったり離したりするのを、彼女がしたくなくなるまでやったりした、ということなんですけれどもね。 僕の子どもたちは、もう10歳を越えてしまっていて、こんな感じは本当にしばらくぶりでした。5ヶ月の人のものすごく小さな手なんかをしみじみ見たりしていると、僕にもこういう時期があったんだろうかと少し驚いてしまって、ということは、僕は、この時期の記憶がだんだんなくなってきているのだなと、ちょっと悲しくなったりしました。
 大人の人たちと話をしていていつも不思議に思うのは、大人はわりと簡単に「すばらしい子どもの視点」とか、「子どもの純粋な感性」とか言ってしまうことで、子どもという特別な生き物が何か別にあるかのように僕には聞こえてしまうのね。僕たちは、ほんの少し前までみんな子どもをやってたわけで、まるで、今のあなたと子どもの時のあなたとはつながっていないみたいじゃない。
 5ヶ月の彼女と一緒にいると、ほんの少し前、僕は子どもでいろんなことにびっくりしながら、何だか毎日はりきって、でものんびりとすごしていたことを思い出すことができる。子どもの僕がいたので、今の僕がいるのだという実感と視点をいつもきちんと点検し続けなさいということを、5ヶ月くらいの人は、人さし指をキッと握って伝えてくれるのだと思う。