
好きな鉛筆といったら、あなたが好きな鉛筆のことで、たとえば僕の場合なら、それはドイツのF・C社の9000番の緑の軸をした、BかHBを、アルミニュウムの小さなブロックでできている、指でつまんでクルクルまわして使う鉛筆削りで削って芯をだした鉛筆のことです。そういう鉛筆ないの?みんな。
「鉛筆なんか書ければいいんだから、私はなんでも良いんです」というのも、好きな鉛筆を決める立派な目安ではあって、何しろ、きちんと自分で考えて鉛筆を選ぶっていうあたりが、「絵」を描く一番はじめなのじゃないかなぁと、僕は思うのね。具体的にことをはじめるというのは、こういうことなのではないかしら。
「絵」を描きはじめるのに最も必要なのは、「見つめ続けられるものを見つける」ということなのだけれど、それを行動に移していくとき、初めにすることは、自分の手の延長が、確実に自分の手の延長になりえているか、の確認あたりからなのだよね。普段何気なく通り過ぎているものやことに、きちんと意識を合わせてみて、自分の感じを優先してことを決めていってみると、たとえば鉛筆で線を一本引いてみるという行為の中にも、すごい感動がひそんでいることに気がつける。たぶん勉強って、そういうところから始ったんだと、僕は信じたい。