平成3年11月23日

 誤解を恐れず言えば、若い人というのは、「なまいき」なんである。僕もそうだった。いまでもそうかなぁ。そうだといいなぁ。
 もっと言えば、若い人というのは、「口先だけ」なんである。僕なんか、いまだにそうだ、と、思う。僕は、美術館で、美術と美術館に関するさまざまな相談にのるという仕事をしている。相談は本当にいろんな内容があって、それはそれだけで、また別のお話になってしまうけれど、自分の子供を含めて、僕よりずいぶんと年下の人たちとお話をしていて、本当にうんざりするときが、かつてはだいぶあった。
 「この野郎、なまいきなこと言うんじゃねぇ」。
 とまぁ、それはいい。で、しかし、ふとわれにかえって考えてみれば、若い人たちから「なまいきな口先」というのをとってしまったら、いったい、何が残るというのだろうか。なまいきに言ってみたことをやらせてもらえるわけでなし、たいていは、お金も社会的なポジションもないので、口先だけになっているわけで、ううむ、こりゃあ、しょうがないんだよなぁ。
 大人が社会を動かしているかぎり、だから、若い時代にできることは、「なまいき」を言うこと、「口先」だけでもいいから、「それはちがう」と言うことなのではないだろうか。彼らの「へ理屈」に、きちんと意見を述べられる大人は、実は、あまり多くないのではないかという実感を、僕は、高校生以来感じている。
 ところで、問題は、そのような「なまいきな口先だけ」の若い人が、最近急激に減ってきているのではないかと思えることなのだ。そういう社会は、だんだんダメになっていくのではないのかなぁ。
 子供たちの、「なまいき」なお話に、ちょっと、耳を傾けてみようかと思う。