最近僕のまわりで、転職する人が多い。しかも、これ以上地球に迷惑をかけたくないので、先生からお百姓へとか、子供と遊ぶ時間をもっととりたいので、サラリーマンから自営業とか、結構たいへんぽい方向への転職。僕の父親(大正13年生まれ)にその話をすると、そういうことの無謀さとたいへんさ、具体的な生活のことを自覚していないのではないか等々、それこそ否定的な見解をゴマンとあげて、そんなの甘いってりきむのね。いやいやおどろきます。

でもねお父さん、そんな考えは甘いという態度ってさ、たとえそれが失敗したとしても、実行したのだから、やってしまった人の方が甘くない態度をとったっていう点で評価できるんではないかしら。それは甘いというのは簡単だけれど、その人がやってしまったとたんに、甘いと言っていた人の方が、言うだけでやんないという点で、甘くなっってしまうわけで、少なくとも、僕は、やってしまうというそういう肯定的な人生の方にこそ、拍手を送りたい。ちょっと無責任な気もするけれど、でも、あえて・・・。
最近中2の人と、お話をしていると、ちょっと心配になってくる。あのさぁ、勉強ってさぁ、こっちにあるもんなんだぜ。自分が生きていく上で、したいことを見つけ、それを社会的な形で肯定的にして行く。そういうことを助けるために勉強するっていうあたりが大切なところでしょう?勉強したいのはこっちなんだよね。そのために、高校に行くとか大学がどうのとかいうのは、勉強の必然の順番としては、だいぶ後なんではないのかなぁ。
あまいっていうのは、わかる。しかし、それを言ってしまうと、言っていた人の方が甘くなってしまうっていうのも、お父さん知っちゃっているからなぁ。