平成3年7月27日

 だいぶ前にこの欄で、子供の靴について書いたことがあったのですが、その人が、今はもうずいぶんと大きくなってしまって、もう子供の靴というジャンルではなくなってきているのです。この前の休みの日に、僕たちは一日、街をめぐり歩いてそのことを実感し、「よし、こうなったら、きちんと良い靴を買ってあげようじゃないの」と、お父さんとしては、思い切って、財布のひもをゆるめたのでした。僕がはいているのと同じレベルのエア−アシストのスニーカーの代金を払うときに、彼女は、ちょっと高すぎるんじゃないかしらんと、家計のことを心配してくれたのを、僕は何だか感慨深く聞いていました。
 ううむ、この人は、もう少女というより若い女性というぐあいになってきているのだなぁ。最近のこの人との話も、どっちかっていうと、新米女性事務員との会話っていう感じだもんなぁ。この人の方が若い分真剣で驚きに満ちていて、うかつに冗談言えないときもあるもんなぁ、なんていうことを、僕はそのとき考えていたのでした。
 僕たちが思っているよりきちんと子供たちは僕たちを追い越していっている。僕たちのやってきたことを同じように積み重ねていっている。彼女との話からうかがい見るに、たいていの子供たちは、どうも、誰にも相談なんかしないで、1人で悩みながら、涙を流して問題を解決している。
 すまんなぁ、25年ほど前は、僕も同じだったって事をほとんど忘れちゃって、ついお父さんみたいな口をきいちゃうもんなぁ。
 初めての本物のスニーカーと同じにいろんなことが初めて彼らの前に表れるこの時期、どういう態度が、正直真剣というものなのかについて、僕はちょっと、襟を正してみようと思います。