
ただ、なんていうのか、「快適だ」っていうのと、「ただのぜいたく」っていうやつとの違いが、僕たちの国ではどうも相当に混同されているような気がするので、そこんとこよく注意しないと、お金ばっかしかかったり、かけたりしたわりには、どうもいろいろな人や物に、ご迷惑をお掛けするってことになってしまうようなんだよね。
たぶん、「過剰に」という言葉が、鍵だと思うな。
食事を作って、みんなで食べる。後片付けをする。体を動かす。子どもと散歩して、景色を見る。そして、勉強したり、彼らを育てたりする。ほら、慌てず、「われにかえって」やれば、なんだか、全部気持ちよくて、快適にやれるように、僕には思えるんだけれどねぇ。
「過剰に」がついても、これなら許せるなぁ、と言うものは、趣味や、それにいくぶん芸術なんかになっていくんだろうから、逆にいえば、あんまり趣味や芸術にしない方がいいものには、「過剰に」を付けないようにしないとまずいよなぁ。これ、割と、逆になってることって、多いでしょう?
子どもたちと一緒に、気持ちのいいことをやってみていると、この人たちは、「過剰な常識」ってのがないので、こういうの見つけるの上手なのかもな、と思うことが多いけど、このへんが、最も大切なのかも知れないね。