平成元年 9月30日

 子どもだったら、泥遊びなんか好きに決まってるよねぇと、僕も思っていました。だから、美術館で子どもたちと一緒に、土の粉から粘土にしてゆく活動をするときなんかは、放っておいたって大丈夫と、たかをくくっていた所がありました。最近違うのね、これが。お母さんたちと一緒に、しっかり着替えも持ってきて、十分な心と体のウォーミングアップもすませ、さぁやるぞと興味津々、袋から粘土粉を床にあけて、「うわーすごいや」っと、ここまではお母さんも子どもも一緒に大興奮なんだけど、その粉で大きい池を作って、水を入れ、池の内側から少しずつゆっくりと粉と水を混ぜあわせ始めると、お母さんたちがほとんど全員「うわー、こういうのみんな好きよねぇ」と、また一段と盛り上がるのを横目で見ながら、必ず何人かの子どもたちが、「うわー、きたなくなっちゃった」と慌てて水道に走って、手を、まだほとんど汚れていない手を、洗い始めるわけですよ。するとその他の子どもたちもはっと我にかえった顔で、自分の手をじっとみつめ、それからお母さんの方をそっと見てみると、そういう光景が起こるのでした。
 ううむ、そうか、ずぅっと、泥は汚れだ、きたない、汚れたらすぐ洗いなさいって、みんな言われ続けてきたもんなぁ。泥の中に手を突っ込んで、目一杯気持ちよい顔にはなっていても、やっぱり口では「汚い、汚い」って言ってしまうしかないよなぁ。
 気持ちよいことが割とだめと言われることの多い世の中で、せめて子どもの時に、人間の基本的な気持ちの良いことを体験させ、こういうことは、気持ち良いって言っていいんだよと、伝えておきたいものだと、泥団子になりながらキラキラしている子どもたちと一緒に、僕は考え始めています。