平成2年4月28日

 歳とともに涙もろくなっていることをいいことに、泣ける機会にはガンガン泣くということにしているので、期待を胸に、ハンカチも胸に、小学校の卒業式と中学校の入学式とに出てきました。でも、たくさんのお母さんたちの中に混じって「彼ら」が講堂に入ってくるのを見ていたら、わいてきたのはちょっと違う感慨で、僕は少しうろたえてしまいました。そうか、僕たちは、こんなにたくさんの子どもたちを作ってしまって、「彼ら」はもうこんなに大きくなってしまったのだなぁ・・・・。
 仕事がら、「彼ら」と接する機会は多いのですが、そのつきあいかたの基本は自分の子どもという一人称であったのだということを、僕は改めて考えてしまったのでした。
 どういう風に考えたらいいんでしょうねぇ。「この人」のためになにができるか、という考えを「この人たち」のためには、なにができるかという風に拡大してみると言ったら良いんでしょうか。「この人」のためには良かれと思って、だいぶん世話をやいたりしてきたわけですけれど、それがそのまま「この人たち」のためになっていることって、案外なかったんじゃないかしらん。単に世代的な問題もあるかも知れないけれど、様々な環境の崩壊についてだって、「この人」のためには何だかしょうがないと思えてしまうことも、「この人たち」について思いを巡らせば、だいぶんやばそうなことを、僕たちはしてきてしまってるんじゃないのかなぁ。
 「団体」から発想した「社会」ではなく、「個人」から発想した「社会」の行く末について、卒業式や入学式は、「大人」にある決心を迫るためにもあったのだなぁと、新米のお父さんは、何だかすまんすまんという思いを胸に、窓の外の青空をみていたのでした。