平成2年2月24日

お風呂がね、小さいんです、家のは。だいぶ昔に作られた団地ですからね、まあしかたないんですけど。
 子どもたち2人と3人一緒には、もう入れなくなってきました。子どもと一緒にお風呂に入るのって、面白いことは面白いんだけれど、真剣につきあっちゃうお父さんとしては、結構ハードな作業だったりもするわけで、本当は少しほっとするところもあるな。そうか、君たちは、もう自分で背中を洗えるようになったんだねえ。さて、体を洗って、肩までお湯につかり、すっかりリラックスしてくると、自然と歌を歌い始めるというのが、正しい子どもとのお風呂の入り方というものでありましょう。
 そしてそういう場合、「でたらめ歌」を歌うというのが、より楽しい(正しいではありません)「音、楽しみ」(「音楽」ではありません)というものであろうというのが、僕の考えです。言葉と音の流れって、こんな感じに心がポワポワしてるときに、向こうからひょいとやってくるもんなんだってことを、僕は、ウィニ−・ザ・プ−(A.A.ミルンの書いたプ−熊さんの物語の主人公の熊)から学びました。で、やってみるとわかるけれど、結構難しいのね、これを捕まえるってのが。先に何か決まってないと歌えなくなっちゃってるわけですよ。ずうっと大きくなっても、すぐ捕まえられるようになっている人が上手な「音楽しみ家(ときに音楽家と短く呼ばれたりする)」になるんだと思うのね。
 でたらめ歌を楽しんでいると、音を楽しむためには、ドレミなんか、本当はどうでもよかったんだよなぁということがわかってきます。で、「音を楽しむ」っていうのは、「耳をすます」ってことと一緒だったんだぜなんてことを、雪の降っている夜のお風呂の中でお父さんは話したりするわけね。